Vol.11
民間企業とNPO、双方の経験から多様な立場の人の視点を身につけ、
災害時に「調整役」を担いたい。
窪 健志さん
NPO法人コミュニティリンク
2015年卒業社会起業学科
浪人時代に予備校の近くに本屋があり、気晴らしによく立ち読みしていた。そこで、関心のあった“まちづくり”(=新しくてキラキラした都市開発)には、強制的な立ち退きやホームレスの方の排除など、表面的には見えずつらい思いをしている人もいるかもしれないと気付いたことを機に、大学では社会問題の構造を学び、社会や世界の課題解決に貢献する手段を身につけたいと、人間福祉学部社会起業学科に進学。入学直後から分野や国内外を問わずさまざまな支援活動に関わり始める。卒業後は、民間企業とNPOを交互に所属しながら、多様な“目”と“人脈”を培い、企業、NPO、行政といった異なる価値観の組織同士の協力・連携の「調整役」を目指している。
学生時代、支援の活動にたくさん飛び込んだ。
入学直後から、在日外国人女性の就労支援をする学生団体をはじめ、フェアトレードや限界集落地域のまちおこしなどの学内の活動に参加しました。また学外では、インド最貧困といわれるビハール州で学校を建設するインカレ団体の一員として楽しく活動していたものの、学生のボランティア活動という期間限定の取り組みでは、持続的で責任ある取り組みにならないのではと疑問が湧き、2年生からは国際協力や社会貢献のプロとして従事する大人がいるNPOやNGOにも積極的に関わるようになりました。その一つがインドの初等教育の学校運営を軸に、就業訓練による女性の自立支援、子どもたちが暮らす孤児院や病院に通えない方のための無料診療所の運営など、貧しい農村の開発支援を行うNPO法人「ニランジャナセワサンガ」で、団体初の学生インターンとして飛び込みました。もう一つはイギリスに本部を置くNGOの日本支部「オックスファム・ジャパン」です。世界や社会の問題解決に想いの強い全国の学生たちが東京に集まって約1週間、「社会を変えるには」と考え、ディスカッションするイベントがありました。この活動への参加をきっかけに全国に仲間が増え、互いに健全に批判し合いながら高め合い、連携できる学生同士のネットワークづくりの活動にも注力しました。3年生になると、ニランジャナセワサンガの活動にさらに深く入り込みたくてインドに行く機会を増やし、スタディツアーの企画統括も担当しました。当時、学部内で1番多くインドに行っている学生だったと思います。活動は4年生でも続け、10年以上が経った2024年現在も、親戚を訪ねるような感覚でインドの村を訪ねています。
活動現場で感じたモヤモヤを、大学の授業で整理するように。
ゼミは、NPO/NGOの活動経験豊富な川村暁雄教授(2013年度当時)のもとで学びを深めました。「社会問題に携わるならば、WEBや書籍・論文を読むだけで決して理解した気にならず、しっかり現場に出てください」とよくおっしゃっていた教授でした。ゼミでの学びのキーワードの一つが「人権」でした。「人権」は、学校に通って教育を受ける、病気になったら治療を受ける、女の子だからといって差別されないなどは、本来世界中の誰もが持っている権利であるという考え方です。「かわいそうだから助けてあげる」のでは決してなく、貧困や紛争、災害等によりそれらの人権が守られていない不条理な状況にこそ支援する理由があると学びました。この考え方をベースに、なぜ支援するのか、良かれと思ってやったことが逆に現地の人たちを苦しめたり、機会を奪ったりすることになってはいないか、支援する側だけの独りよがりになってはいないかと、徹底的に自問し、考え続けることの必要性を教わりました。ゼミの同期には、フィリピンのスラムや国内の障がい者の支援など、それぞれに活動フィールドを持っているメンバーが多く、各々が現場に出て考えたこと、モヤモヤしたことをゼミに持ち帰り、グループワークを通じて深堀り、整理をしていくという作業をたくさん行いました。「世の中そういうもんだよね」というような、いわゆる大多数の「普通」とされる感覚を嫌い、いい意味でみんな尖っていたので、かなり活発な議論ができるゼミだったと思います。ゼミ合宿にもあちこち行き、なぜか教授を筆頭に毎回バスケットボールをしていました。そういった刺激的な議論に触れながら、学外ではインドなどでの支援活動に取り組むことで、大学での授業がより面白く感じられるものになりました。ゼミや講義での学びをインドの現場に生かし、逆に現場で得た疑問点については授業で答え合わせができるような感覚でした。例えば、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方(自分で魚を取る方法)を教える必要がある」という大事な考え方があるのですが、この話を授業で聞いた時に、インドで学校を建設する学生の活動は「学校を建てること」がゴールになっていて、その先にある子どもたち自身で未来を生み出すことにまで十分に考えられていないなと、強く反省した記憶があります。
卒業後はNPOだけでない、企業や自治体の“目”を身につける。
私は、その時々で必要な視点、足りない視点を身につけたいという思いで、これまで仕事を選び、組織に勤めてきました。1社目の企業では3年半、営業、マーケティング、経営企画まで一通り経験させてもらいました。次はそろそろNPOに戻りたいなと思ったタイミングで西日本豪雨災害(2018年)が発生し、災害支援を行う「ピースウィンズ・ジャパン」というNPOの門をたたきました。そこでは約7カ月の期間限定で、豪雨で自宅を失って仮設住宅に入られた方に、生活に必要な電子レンジや掃除機などの家電をお届けする業務を担当しました。言葉にできないほど、大きなやりがいがありました。ただ、家電提供のお知らせ・申し込み受付・購入・配送など、やるべき作業はたくさんあるのですが、地域的にもスマホが触れない高齢者の方も多く、多くのやり取りが基本的に“紙”でした。アナログな方法で効率が悪いな、早く届けたいのに届けるまでに時間がかかるなと痛感しました。「絶対今後の災害でこのままではいけない!」と感じ、仕組み化・効率化する術を習得したいと奮起し、3社目は広告代理店のコンサルティング会社で修業することを決めました。プランナーとして約4年間、主に新規事業開発や人材育成について「仕組み化」のお手伝いをする経験をたくさん積みました。この3社目の時点で、企業とNPOという2つの“目”は持つことができたので、次は行政・自治体の“目”、つまり役所の職員さんたちと上手にコミュニケーションを取るための視点を得ようと考えるようになりました。そこで2023年6月から、神戸に拠点を置く「コミュニティリンク」というNPOで働いています。ここでは、全国の自治体が抱えている地域の問題に対して、課題解決ができる商品・サービスを持つ企業をマッチングさせて、自治体、企業、NPOの三者で本当に課題を解決できるか実証実験をしています。「Urban Innovation JAPAN」という事業です。目的、使う言葉、文化、考え方も全然違うような自治体と企業の間で、いわば「通訳」をしながら、中間に立って一緒に地域課題の解決を図っています。
西日本豪雨をきっかけに、「災害支援」を活動の軸に。
2024年1月1日に能登半島地震が発生したことで、その翌月からはまた別の国際NGOにも所属して石川県での被災地支援活動に参加しています。西日本豪雨災害の時と同様に、家電をお届けする支援です。東日本大震災発生直後の2011年4月に関学に入学したので、東日本大震災、熊本地震、九州北部豪雨など、各地の災害ボランティアに行きましたが、2018年にNPOの職員として西日本豪雨の現場に関わって以降、災害支援や防災への関心がさらに強くなりました。南海トラフや首都直下型地震など今後起こるとされる災害でより効率的でスピーディーな支援をするためにも、災害支援の仕組み化やデジタル化に貢献できる人間になろうと決め、まさしく今体現している状況です。
今の自分に必要な視点、足りない視点を身につけるために今後またどういう団体に所属するかは分かりませんが、これまでのキャリアで得た企業や自治体、NPOなどさまざまな職業や立場の人の“目”と“人脈”、災害支援の経験を生かして、将来的には災害時や有事に「調整役」を担いたいと考えています。多様なプレーヤーが登場する場合には、言葉や思いが違ってなかなかうまくいかない、効率化しようにも方法が分からず、てんやわんやになるということがたびたび起こります。そういう時に「ここはこの企業さんが得意だからお任せしましょう」「ここは自治体での判断と発信をお願いできますか」というように、組織や人をうまく動かすための通訳となって交通整理ができればと思っています。
学生時代は思い出としてだけでなく、色濃く今の活動にもつながっている
大学生の時に学外活動を共にした仲間たちとは、「10年後、20年後を見据えてつながろう」「今は学生でまだそれほど力は持っていないけれど、大人になってそれぞれが所属する企業や組織で力を持った時に協力し合えれば、社会的にインパクトがあることをできるんじゃないか」と話し合っていました。その時話していたように、今はNPOに所属している自分のような人間もいれば、企業で働く人、学校の先生をしている人、海外を飛び回っている人もいて、何かあった時に協力し合える強い関係性が残っています。これは自分にとって大きな財産になりました。
まさに今行っている能登での災害支援でも同様です。IT企業に勤める仲間に効率的でできるだけお金のかからない形でのITの仕組みづくりを相談したり、育児休業中の人に被災された方の生活アンケートの打ち込み・入力を手伝ってもらったり、NPOで活動する人からジェンダーや子どもたちへの配慮についてアドバイスを受けたりと、さまざまな協力を得ています。オンラインで繋がれる今、必ずしも直接会わなくてもできる連携や支援がたくさんあるということを、身をもって実証しています。
また、社会起業学科の先輩やゼミの同級生、サポートいただいた先生方との交流は今も続いています。多方面で活躍するメンバーが時々集まって、近況報告や何かコラボできないかなという話をします。その縁で、今年の5月には大学3年生の社会起業学科の後輩たちに、自分のキャリアについてお話しする機会を頂きました。大学時代のつながりは、過去の思い出としてだけではなく、卒業から10年が経った現在も、自分の活動の幅を広げる、強いネットワークとして存在しています。ちょっと変わった自分の経験もまた、今後もっと役に立ったらうれしいなと思います。