Vol.14
将来の夢に向かって、
忙しさをポジティブに楽しみ
4年間で2学部卒業を目指す。
乾 彩海さん
社会福祉学科
大阪府四條畷市出身。小学5年生でアナウンサーを志し、大学進学時は、マスメディアについて学べる社会学部と迷った末、まずは今苦しんでいる人に目を向けたいと人間福祉学部社会福祉学科を選択。3年生で人間福祉学部を早期卒業し、最短4年で2つの学位取得が可能なマルチプル・ディグリー制度(MD)の利用を目指している。
入学式で制度を知り1年生から他学部の授業も履修。
生まれてから5歳までを自然豊かなタイで過ごし、帰国後も自然を残す地域で育ったこと、また、米作り体験などによく参加したことなどから、自然の大切さを感じ環境問題に関心を持つようになりました。ですが、テレビなどの報道を通じて、世の中には自分のことだけで精いっぱいで、環境保全といった社会問題に目を向けることができない人がいると知り、まずは今苦しんでいる人たちに目を向けるべきではないかと考え人間福祉学部社会福祉学科に入学しました。一方で、小学生の時からアナウンサーになりたいという夢を持ち続けていたので、マスメディアに関する知識を学んでみたいという気持ちもずっとありました。マルチプル・ディグリー制度のことを知ったのは、ちょうど入学式の時です。配布されたパンフレットを読むと、他学部を体系的に履修する複数分野専攻制(MS)と組み合わせれば、学費はそのままで2学部を卒業できると書かれていました。こんないい制度があるのなら、頑張って他学部でも学んでみようと思い立ち、早速1年生の春学期から他学部の授業も履修しました。人間福祉学部を3年間で卒業できるよう、1年生、2年生の時は人間福祉学部の単位修得に力を入れて履修したので、これからは4年生での2つの学位取得を目標に単位を積極的に取っていくつもりです。
ろう者の先生と出会い「障害」のフィルターがはずれた。
入学直後の人間福祉学部の授業では、必修科目を通じて現代社会のさまざまな問題について学び、日本の将来は大丈夫なのだろうかと重い気持ちになった時期もありました。その中でも楽しかった授業として印象に残っているのが1年生時、第2言語で履修した日本手話です。実技はろう者の先生から、手話のみで教わりました。小学生の時に支援学級の友達とうまくコミュニケーションを取ることができなかったという記憶が残っており、もっと仲良くなれる方法があったのではないかという気持ちをずっと抱いていました。授業の中で、私のつたない手話をろう者の先生が受け止めてくださり、コミュニケーションを取りながら趣味のことや興味のあることなどについてたくさん話ができたことで、それまでの「障害がある人」という見方から「障害」というフィルターがはずれ、その人個人として見ることができるようになりました。大学に入って最初に価値観が変わったタイミングだったと思います。日本手話の授業は2年生でも取り、現在はラーニング・アシスタント(授業担当者の授業運営を補佐したり、履修学生の指導や相談を通して教育および学習の支援を行ったりする役割)をしています。学校外では、先生が関わっているろう者の子どもたちの運動会に参加し、幼児から高校生までの子どもたちと交流しながら楽しい時間を過ごしました。伝える難しさはあったものの壁を感じることはまったくなく、余計なフィルターがはずれたことを実感しました。納得がいくような接し方ができなかった小学生の頃の自分から、少しは変われたのかなと思います。
過去と現在のテレビドラマから手話について考察する。
3年生になり、松岡克尚教授のゼミで障害者福祉について学んでいます。大学入学までほとんど関わってこなかった分野であり、日本手話の授業をきっかけに入学後は最も関心を持った分野です。授業はグループワークが中心で、ゼミ生で分担して課題に取り組みます。私は他のメンバーと違い、来年4月の学部卒業に向けて課題論文をまとめ、12月には提出しなければなりません。でも、今年で卒業するからといって遠慮するのではなく、「私、ここやるね」と積極的に課題を受け持ち、往復4時間の電車通学の時間や休日を活用して取り組んでいます。課題論文は、ゼミの授業とは別に、松岡先生に相談しながら少しずつ進めている段階です。手話を扱ったテレビドラマに関して、先行文献を読み解いて変遷をたどり、実際に1995年と2023年に放映された作品を比較分析し、どのように変わったか、今後どう変わっていけばいいのかなどをまとめる予定です。きっかけは、ろう者の先生の「あのドラマのあの表現はどうだろう」という言葉でした。当事者にしか分からないことがあり、メディアへの就職を志す者としてそこにまで気を配れる人間になりたいと思いました。障害をコンテンツとして扱い、伝える場合に起こり得る誤ちをなくすにはどうすればいいのかを考えていきたいです。
耕作放棄地の再生に取り組みながら活動を楽しむ。
大学ではボランティア活動をしようと決めていたので、関学生を中心に4学年50人ほどの学生団体「Re.colab KOBE(リコラボ神戸)」で活動しています。学内のイベントでボランティア団体を紹介するブースがあり、「環境系の取り組みをしているおすすめの団体」として紹介されたのがきっかけで入学後の4月末に加入しました。活動の場は、神戸市北区山田町に広がる耕作放棄地です。外来種のセイタカアワダチソウの群生を刈り取り、土を耕して、再び農業ができる畑に再生していきます。これまでに大麦やソバを栽培し、今はトマトやナス、落花生などを育てています。また、隣にある竹林の整備にも取り組んでいます。竹は生命力・繁殖力が強くて他の植物の成長を妨げるため、植物多様性を守るために一生懸命に伐採しています。標高が高いので上には空しかなくて非日常を味わえます。環境を守ることの大切さに気付かされる場面がたくさんあるのはもちろん、活動場所まで山を登り、汗をかきながら作業をして、終わったらみんなで走り回って遊ぶことで楽しくリフレッシュできるのも魅力です。「なんだか楽しそう」と軽い気持ちで入り、最初は「虫は苦手」「日焼けは嫌」と言っていた人が、いつの間にか太陽の下で平気でカエルをつかんでいます。地球温暖化という大きな問題に対して私たちの力は小さいものですが、大学生にもできることがある、やれることをやりながら一歩ずつ進めるという姿勢で取り組んでいます。
「まず知ることから」を軸に伝えるプロになりたい。
アナウンサーになりたいと思ったのは小学5年生の時、「テレビ大好き。出てみたい」「じゃあ、アナウンサーになれば」という母との会話が始まりでした。夢は持ち続けたまま、大学生になると、私の中に「まず知ることから」という軸が生まれました。障害者福祉の問題も環境問題も知らなければ何も始まりませんが、知ることによって興味が生まれると実際の行動へとつながりました。その知るというきっかけを与えるものの一つがテレビであると考えると、伝えるプロとして視聴者の皆さんに情報を提供したい、そして、人間福祉学部での学びや学生団体での気付きなど学生生活で得たことも生かしていければと考えています。アナウンサーの就職活動はすでにスタートしていますが、本当に厳しい世界だと痛感しています。テレビを通して人に伝えたいという気持ちに変わりはありませんが、アナウンサーにこだわり続けるのか、それとも制作会社や記者などの職種も視野に入れて伝えることにこだわるのか、この後の成り行きを見ながら考えたいと思います。2学部での授業に人間福祉学部の課題論文、就職活動とそのためのアナウンススクール、Re.colab KOBEの活動と、毎日が本当に充実しています。全て自分がやりたくてやっていることですし、忙しい中でどう楽しもうかとポジティブな気持ちです。大学時代は頑張ろうと思えば可能性は無限大に広がっています。私自身、まだまだこれからだと思っています。