十人十福

Vol.08

農業の視点から
命の意味を考える。
園芸療法士となって
一人一人が生きやすい
世の中を。

前田 紗貴さん

人間科学科

高校3年間、自然豊かな山形県小国町の基督教独立学園高校で寮生活を送り、部活動を通じて牛などの動物や植物の命に触れる。高校在学中に後にゼミの指導教員となる藤井美和教授を知ったことをきっかけに人間科学科に進み、死生学を通じて命の大切さについて探究。農業に関心があり、種と命をテーマに卒業論文に取り組む。将来は園芸療法士を目指しており、卒業後はフィンランドに留学する予定。

#人間科学#ゼミ#留学

「なぜ命は尊いのか」死生学を学び答えを知りたい。

大阪の出身ですが、高校は山形県小国町の基督教独立学園高校で学びました。一学年20人程度の全寮制の普通科高校です。母から「こんな学校もあるよ」と資料を渡され、牛の放牧写真を見て直感的に行きたいと思いました。自分を表現するのが苦手だったので、生徒がその時感じていることを話す「感話」の時間にも引かれました。入学後は牛のお世話をする畜産部に入り、朝5時起きで搾乳して食堂まで牛乳を届け、原っぱに行って大鎌で草を刈り、牛舎に戻って牛に朝ご飯をあげるというハードな生活も、寮での人とのぶつかり合いも、自然がいつもそばにあったことで、癒やされ乗り越えることができました。
高校3年生の時、病院でチャプレン(聖職者)を務める女性の講演があり、内容に興味を持ちました。先生から、その方のお姉さんが関西学院大学の教員だと聞き受験前に会いに行きました。それが今のゼミの指導教員、藤井美和先生です。先生の専門「死生学」についてお話を伺い、この学問を学びたいと思いました。人の命は尊いと当たり前のように言われます。もちろんその通りですが、なぜ尊いのか、自分の中に明確な答えを見いだせず、それはすごく怖いことだと感じていました。動物や植物に接し、命が身近にある環境ながら、牛の誕生や死に関わる機会はありませんでした。「命は大切だよ」と心から言えないのが苦しくて、死生学を学ぶことで自分の中で問いを深め、答えを知ることができるのではと人間福祉学部人間科学科を進路に定めました。

死生観は人それぞれ、一生かけて考えていくこと。

ゼミでは、毎回一人がテーマを提供し、それを基にみんなでディスカッションします。印象に残っているのは、病院にいる子どもや家族を支援し精神的負担を軽減する専門職、CLS(チャイルド・ライフ・スペシャリスト)を目指すゼミ生が担当した回です。CLSの仕事内容を聞いた後、3人一組になり、もうすぐ亡くなると分かっている子ども役とCLS役に分かれて、子どもから「死ぬってどういうこと?」と聞かれたときの対応を実演しました。私の組は、私ともう一人がCLS役で、子ども役の藤井先生が突然泣き出した場面では棒立ちのままどうすることもできませんでした。するとゼミ生の一人が「僕だったら黙って抱きしめてあげる」と発言したのです。子どもにどうやって死を理解させようかと上から目線で考え、「怖くないよ」と一方的に伝えるだけだった私に比べ、彼の子どもに寄り添った姿勢から学ばされました。対応はゼミ生によって全然違っていて興味深く、身近に死に直面した人がいた場合にどう接すればいいのか思いが広がりました。
死生観は人それぞれで、正解も不正解もありません。そこには、その人がたどってきた人生が大きく関わっています。ゼミで議論を重ねるたびに、「こういう背景があるから今の考え方、死生観になっているんだ」と納得したり、「でも10年後にはまた全然違う死生観を持っているんだろうな」と思ったり。終わりがない問いで、入学当初の疑問の答えもまだ出ていませんが、それは一生かけて考えていくことだと受け止めています。

植物の種をつなぐことから人の命の意味を考える。

高校卒業直後にコロナ禍に入り、自然の少ない環境になったこともあって息苦しさを感じていました。大学2年生の後半、自然農法という無肥料無農薬で栽培する奈良県のお茶農家さんでアルバイトをさせていただき、ふかふかの土や茶畑のある風景にすごく癒やされました。そこから自然農法について自分なりに勉強し、「植物の種」と「人の命」は似ているのではと感じるようになりました。種は安定して大量生産するために改良を繰り返され、安全性がおろそかになっています。一方、人の命も生殖技術の進歩により、理想の人間像へと人の手で操作できるようにもなりました。卒業論文では、死生学と大好きな農業の世界をリンクさせながら、人の命はなぜ大切なのかを導き出せればいいなと考えています。
大量生産により種の多様性が減少している中、雲仙市で在来野菜にこだわり自家採種している農家さんがいて、野菜を育て、そこから種を取り、それをまた植えてと、野菜の命をつないでいく取り組みを40年間続けておられます。今では少なくなった全国各地の種取り農家さんを訪ねて“いのち観”、野菜や人の命に対してどういう思いを抱いているのかを聞き取りする予定です。人間の命も、自分の前には親が、その前には祖父母がいて、ずっとつながってきているからこそ、その人だけの価値があります。他の人とかぶることのない、かけがえのないその人になるのです。そんな命の意味を、植物の種を取るということから考えてみるつもりです。

雲仙市でのインターンシップにて

悲しむ人にただ寄り添うことは大切だけど難しい。

ゼミ以外では、坂口幸弘先生の授業が興味深く、1年生で生命倫理学を、3年生の時にはグリーフケア論を受講しました。死別などによる深い悲しみのケアには、傾聴が大事だと痛感しました。学べば学ぶほど知識は増えていきますが、大切な人を亡くした方は答えを求めているわけではありません。それは藤井先生も同じお考えで、「TO DOではなくてTO BE。何かしようとするのではなく、ただ側にいることが大事」と教わりました。
これまでの同級生には、家庭の問題や自身の発達障害などで悩んでいる子もいて、相談されたときにどうしたらいいんだろう、私に何ができるんだろうといつも迷っていました。傾聴が一番だと学び、私が高校時代に分からないながらに取っていた態度、何もできないけれどずっと聞いている、そばにいるというのは間違いではなかったんだと今振り返って思います。寄り添うこと、抱きしめてあげること、大切ですが難しいですね。

藤井教授、ゼミ生と

ヒマワリがヒマワリのまま花を咲かせられる世の中に。

卒業後は、植物を育てることを通じて心や体の健康の回復を図る園芸療法について学び、ゆくゆくは園芸療法士になるのが夢です。高校時代の友人のお母さんがいる岩手県東和町を訪ねた時に、福祉と農業の双方に関わる仕事をしたいと話したところ、知り合いの園芸療法士さんが書かれた本を贈ってくれました。「ヒマワリはヒマワリのまま育てればきれいに花を咲かせる。バラに育てようとするから息苦しくなる」。私がやりたいのはこれだと思いました。知的障害者や認知症患者というレッテルではなく、一人の人間として自然と対峙し、ありのままの自分に戻る。園芸療法は、障害の有無にかかわらず生きづらい人たちが、求められる自分、決めつけられた自分ではなく、ありのままの自分として生きるための助けになるはずです。
卒業後は森と湖の国、フィンランドに行きます。最初の1年間はオペア留学制度(現地でホームステイをしながら住み込みで働く制度)を活用して、ホームステイ先で育児などを手伝いながら語学学校に通い、その後は園芸療法を実践している施設や学校を探す予定です。将来的には日本で園芸療法を用いる仕事に就きたいですね。高校生最後の感話で、「広い原っぱでみんなが裸足になって駆け回る、そんな場所をつくりたい」と言いました。その思いを大学4年間持ち続け、関心がある授業を受けたり、ゼミでいろいろな角度から命について考えたりする中で、園芸療法へとたどり着きました。広い原っぱを自由に駆け回るように、ヒマワリはヒマワリのままで、一人一人が生きやすい世の中になってほしいと思います。