Vol.13
祖母との死別を体験し、
卒業後に生と死に向き合う「死生学」を受講。
人生の最期に関わる仕事を。
犬塚 桃子さん
葬儀プランナー
2017年卒業人間科学科
福岡市出身。幼少期から続けていたテニスの強豪校であり、「こころと身体の両面を学びなさい」という高校時代の恩師の言葉に合致したことから、人間福祉学部人間科学科に進学。河鰭一彦教授のゼミでスポーツバイオメカニックス(スポーツ生体力学)について学ぶ。卒業後、祖母の死をきっかけに科目等履修制度を活用して藤井美和教授の下で「死生学」を探究。現在は葬儀プランナーとして活躍。
徹底して実践し答えを出すことを営業職で活用できた。
大学では4年間体育会庭球部に所属しました。プレーにおける身体のしくみや使い方を学びたいと思い、3年生からのゼミ選考ではスポーツバイオメカニックス(スポーツ生体力学)をテーマに身体運動を力学的に研究する河鰭一彦教授のゼミを選びました。卒業論文では競技が異なる部活生4人でチームを組んで各人の筋肉の付き方や体型などのデータを取り、それぞれのスポーツの特徴をまとめ、どういうトレーニング方法が合っているのかを導き出しました。結果は各部に持ち帰って部員と共有し、練習等に生かすことができました。
河鰭教授には、既存のデータに頼ることなく、学生たち自身で徹底的にデータを取ることの重要性、実践の大切さを体験を通して学びました。「1回取っても、それを疑い、何度も測定して自分たちで答えを出しなさい」と教え込まれたことは、新卒で入社したコカ・コーラボトラーズジャパン株式会社(以下、コカ・コーラ)の営業職でも役立ちました。季節のイベントなどにおいて、上司の教えやマニュアルをうのみにせず、担当する会社や店舗に合う企画を考えて提案し、実践させていただく。その結果から学びを拾い、次の提案と実践につなげるということを続けました。
社名や肩書を取り払っても人の価値は変わらない。
「こころと身体の両面を学びなさい」という高校時代の恩師の助言もあって入った大学ですが、在学中は競技テニスをしていたこともあり、競技に関する身体的なことに興味のある学生でした。こころの問題に関心を持つようになったのは、コカ・コーラに入社して3年目の2020年、祖母との死別体験がきっかけです。勤務地が地元福岡だったので、祖母が余命宣告されてから亡くなるまでの約3カ月は、仕事を早めに切り上げて一緒に時間を過ごすことを大切にしました。日を追うごとにだんだんと自分で歩くことやご飯を食べること、話をすることもできなくなっていく祖母の姿を少しずつ受け止めながら過ごし、最後には意識もなくなっていくその姿に、「人は生まれてからこれまでに獲得してきたことを、一つずつ手放しながら死に向かっていくのだ」と知ることができました。この時、祖母がどんな姿になろうと私にとって大切な人であるということは変わらないと気付き、ハッとしました。当時の私は、仕事や会社の名前が自分の価値であり、キャリアを突き詰めることが人間の価値を上げる方法だと信じていましたが、社名や肩書など何を手放したとしても私も祖母と同じように価値のある人間じゃないかと思うことができた経験でした。
それを機に、これからは自分の気持ちにもっと正直に生きたい、それは人の人生の節目、最終的には人の最期に関わる仕事をすることだと思うようになり、その第一歩として、関西へ転居し、ダブルワークでウエディングのプロデュースに携わるようになりました。そこで実際に人の人生の節目に触れ、私はやはりこういう仕事をしたかったのだと確信し、2022年にコカ・コーラを退職しました。
意見の違いを超えて人を理解できることの大切さを学んだ「死生学」。
祖母の死により自分の中で何かが変わったけれども言葉では表現できない。生きること死ぬことについてもっと考えを深めてみたい-当時、胸に抱いていた思いを友人に打ち明けたところ、勧められたのが藤井美和教授の授業でした。コカ・コーラ退職直後の4月から半年間、科目等履修制度を活用して人間福祉学部の「死生学」と人間福祉研究科の「死生学研究」を受講しました。「死生学研究」の授業は、参加者のディスカッション主体で進められ、取り扱うテーマは自殺や脳死など容易に結論が出ないものばかりです。ディスカッションをより深いものにするため最初の2回の授業は、藤井教授を含む参加者が自身の半生を語る時間に充てられました。この時間により各人の人生背景をつかみ、テーマの中で、たとえ相手が自分とは真逆の価値観や意見を持っていたとしても、こういう経験をしたからこその意見や価値観なのだと、意見の違いを超えて人を理解できることの大切さを学びました。
もう一つ、「自分と対極にある人に会いに行き、価値観が壊れるような経験をしなさい」ともアドバイスされました。死は価値観が壊れた先に受け入れられる究極のものですが、その人生最後のレッスンに行き着くまでにもたくさんの経験はできると教わり、半年間、週に1回老人ホームでご高齢の方と過ごさせていただきました。その時に、介助を必要とされる方が「人生で今が一番幸せ。自分でできていたことを人に助けてもらう中で、ご飯を食べさせてくれる、あいさつしてもらう、その一つ一つに感謝できるようになり、幸せの感度が上がった」と話されました。この時、老いていく中でできないことが増えていくのはかわいそうなことだと思っている自分がいたことに気付きました。周りの目にどんなふうに映っていたとしても、幸せかどうかの尺度は本人自身が持つものであり、それは相手と時間を共に過ごし、実際に聞いて初めて分かるのだと知りました。私たちが無意識に障害のある方に目を注ぐ時にも同じことが言えると思います。この経験を通して、藤井教授がおっしゃっていた「自分と対極にある人に会いに行き、価値観が壊れるような経験をしなさい」という言葉の真意を受け取ることができたように感じています。
葬儀の仕事には「死生学」の学びが丸ごと生きている。
2023年秋からは、フリーランスの葬儀プランナーとしての仕事に主軸を置いています。人の最期に関わる仕事を目指す上で、自分がちゃんと死に向き合えるかどうか、葬儀社に身を置くのは必要だと考え現場を担当しています。喪主さんとの打ち合わせに始まり、故人さまの思い出などを聞かせていただいてお通夜や告別式の内容を提案し、ご火葬に至るまで、残された方々が望むお別れの形を実現するのが役目です。大切にしているのは故人さまに対して敬意を払うことで、それは、お位牌の持ち方一つにも表れます。忙しかったり焦っていたりといった心の状態がそのまま反映されるので、自分を整えるように努めています。出棺前の最後のお別れで、「もっと甘えたかった」「もっと一緒に過ごしてほしかった」など故人さまに今まで言えなかったご自身の本音に触れ、言葉にするような場面に立ち会えた時にはとてもやりがいを感じます。さらに、失うことで初めて故人さまからもらってきた愛や優しさがどれほど大きなものだったかに触れ、その気持ちをかみしめる場面に居合わせることができた時、この仕事の真髄を感じます。
「死生学」の学びを簡潔に言うと、どこまで想像力を巡らせることができるかだと考えています。今の仕事に置き換えれば、周りからは大往生と思える100歳を過ぎた死もご家族にとっては悲しみであり、自死であっても素晴らしい人生だったと拍手で見送りたい場合もあります。その人たちの思いを、想像力を持ってどれだけくみ取れるかが肝要で、「死生学」の学びが丸ごと生きているといえます。
喪失体験を人生の転機にできるような活動をしたい。
将来的には、喪失の経験、誰かの死に関わるといった体験をネガティブなものではなく、その人の人生の転機にできるような活動をしていきたいと考えています。その方法が、起業なのか、講演活動なのか、それ以外なのかはまだ明確ではありません。ただ現在も、葬儀社さんや学校、企業などの依頼により講演をする機会があり、関西学院大学でも昨年と今年、人間福祉学部人間科学科の1年生の必修授業でゲストスピーカーとして自分の経験を話すチャンスを頂きました。今後もそういった取り組みの割合を増やしていきたいと思っています。
私は祖母の死を経験したことで、自らの生き方を見つけ直すきっかけをもらいました。そこからキャリアの舵を少しずつシフトさせて、今があります。河鰭教授にも「学生時代に無理やり勉強するのではなく、犬塚のように社会に出てから『これが人生のための勉強だ』と気付いて大学に戻ってきて学ぶというのは、長い目で見るとすごくいい選択だと思う」と言っていただきました。人の価値の磨き方にはいろいろな選択肢があります。私の生き方をその一例として受け取っていただければうれしいと思っています。