Vol.14
世界トップダンサーとなって
影響力と発言力を身につけ、
途上国の子供たちを支援する事業を
北 尚果さん
2014年卒業社会起業学科
伊丹市出身。小学生の時にテレビ番組で見たストリートチルドレンに衝撃を受け、ソーシャルビジネスを学ぶため人間福祉学部社会起業学科に進学。卒業後は一般企業を経て西宮市内のダンススタジオで子供たちを教えるが、コロナ下の2021年にアフリカの島国、カーボベルデへ。途上国支援事業の立ち上げを見据え、世界に影響力を与えられるトップダンサーを目指して奮闘中。
中期留学の3カ月間で1年分の英語力を習得しよう。
小学生の頃、フィリピンでごみ山をあさりながら家族を支える少女のドキュメンタリー番組をテレビで見たことがずっと心にあり、開発途上国の子供の問題など社会課題を解決するソーシャルビジネスの手法を学ぶために社会起業学科に入学しました。まずは英語で話せるようになろうと大学2年生の春に3カ月間、英語短期留学(当時開講)でカナダのクイーンズ大学に留学しました。父の急死で1年間行くことは難しく、じゃあ3カ月間で1年分を習得しようと、朝起きたら勉強、授業は一番前で聞き帰ると勉強、休日も大学図書館で勉強の毎日でした。今の私の英語力は全てカナダ留学で培ったものです。
ストリートチルドレンに初めて関わったのは大学3年生の夏休み、約1カ月半の海外インターンシップ(当時開講)でした。フィリピン・マニラにあるストリートチルドレンの保護施設に住み込み、毎日お風呂に入り服は着替える、夜は寝るといった人間としての生活習慣を身につける手伝いをしました。そこで学んだのは、知識だけでは何もできないということ。私は小学生から海外支援の活動を始め、高校生で仲間と国際ボランティア団体の運営に携わり、大学生ではソーシャルビジネスやNPOの理論を修得しました。英語も話せるし、ものおじしない性格もあり、武器をそろえ満を持して行ったつもりですが、子供たちと楽しい時間は過ごせても、実際に困った時に彼らが頼ったのは看護師やソーシャルワーカーなどプロフェッショナルなスキルを持つ人たちでした。何のスキルもない私は、この特別な力を持つ人たちをつなぐ、仲介する人間になればいいんだと思い、卒業後は海外のNPOに属するという希望はいったん置いて、一般企業で社会を知り、人とのつながり方を学ぼうと決めました。

一地域の一ダンサーからトップダンサーを目指す。
社会人2年目に、今の自分がすごいスキルを持つ人と関わるのは難しい、機会があったとしても互いにプラスを提供し合う関係性を築くには結局、私自身も何かのプロフェッショナルでなければならないと思い至りました。その可能性を見いだしたのが、大学時代に本格的に始め、社会人でもプロ並みに活動していたヒップホップダンスです。ダンスは人の自然な営みであり、人を助け、幸せにする力があると信じていました。
会社を辞めた日から西宮市のダンススタジオで指導を始め、障害者施設で教えたりイベントに参加したりと地域貢献活動にも取り組みました。経営が軌道に乗り、力になってくれる人も増えた頃、再びフィリピンを訪ね、ストリートチルドレンを対象にダンスを教えつつ必要な教育や医療の支援につなげている団体と出会います。2019年秋に彼らを招いて日比の子どもがダンスで心通わせるイベントを開催し、手応えに事業の広がりを模索していた矢先、新型コロナウイルス感染症がまん延しました。三密回避やオンライン指導など手を尽くしてスタジオを続ける中、理解者だと思っていた周りの人たちの手のひらを返したような言動に衝撃を受けました。「それは違う」という私の言葉がいくら正しく、相手を思ってのことでも、災害の前には何の影響力も持ちません。一地域の一ダンサーであることの限界を感じ、世界トップダンサーとなって影響力、発言力を持たなければ目指す途上国支援にはたどりつけないと考え、世界大会に挑戦しながら力をつけようと2021年6月、日本を飛び出しました。

自分の気持ちに素直に行動することは「have to」よりも心豊かだ。
私が暮らすカーボベルデはアフリカの島国です。コロナ禍でも入国でき、数少ない情報から治安も気候もよく、米文化で大好きなマグロも食べられると知り、ノリと勢いで行きました。黒人文化に触れられるなら場所はどこでもよかったというのが本音です。学校や地域団体に飛び込んで「私はダンサーです。お手伝いできることはありますか」とアピールし、イベントなどで名前を売り、国内初のヒップホップダンス専用スタジオも作って教室を始めました。徐々に、「ダンスといえばナオカ」と言ってもらえるようになり、パリ2024パラリンピックのアンバサダーや2026年ユースオリンピックのブレイキンの代表トップコーチにも任命されました。傍ら、現地の人にはワークショップで、日本に住む人たちにはオンラインで指導を続けています。
この国は何もかもが日本とは真逆です。ダンスで言えばリズムが逆、生活面でも、例えば誕生日を迎えた本人が知人を招待してご馳走するのがステータスです。日本人のように「have to(○○しなければならない)」の考え方ではないので、レジで後ろに人が並んでいても「急がないといけない」とは思いません。何かを計画し準備をすることもなく、時々の発想や気持ちに従って行動し、何歳だろうが思い立った時に国を変え仕事を変えてキャリアを積み直します。自分に素直で、自分の可能性にふたをしません。当初、私の中にはたくさんの「have to」があり、この国のやり方はストレスでしたが、徐々に、効率や生産性のいい「have to」よりも心豊かで楽しいのではないかと思えるようになり、起こり得ない失敗もあるけど起こり得ない成功もあって、今は面白いなと感じています。
ダンスの魅力は外への広がりと内なる冒険にある。
現在は自分のトレーニングを優先し、年に数回、ヒップホップダンスのレベルが高いフランスやオランダなどで現地のダンサーと練習し、語り合い、数々の世界大会で競い合っています。2024年8月から3カ月間のフランス滞在では、優勝という結果は出せませんでしたが、自分の実力が世界レベルに近づいてきた手応えがありました。トップレベルの人たちと同じ考え方や価値観のもとに話せる自分がいて、ダンスの魅力も再発見できました。以前から感じていた、一緒に踊ることで友達になり世界とつながれるという外に広がっていく魅力だけではなく、内なる冒険として踊りを通して自分と向き合い、存在を自覚し、さらに長所を見いだして自分自身を好きになれる時間であることにも気が付きました。外と内、2つの特長で人の心を豊かにするもの、ダンスの魅力が倍増しました。
世界一のヒップホップダンサーになり人を動かせる影響力と発言力を得られたら、大学入学時から考えていた途上国支援の事業を立ち上げたいと思っています。才能はあるのに境遇に恵まれない子供たちには、チャンスが巡るような仕組みをつくりたい。そして、ダンスの指導を始めた頃に感じた、心に問題を抱える日本の子供たち、自分の軸を持てず周りの正解を自分の正解として置き換えているような子供たちには、自分自身の体や感じていることに目を向け今生きていることを実感してほしい。そのために私に何ができるのかという答えが見つかっていないので、まだ日本には帰れません。

自分に投資しダンサーとしてエネルギーを還元したい。
社会起業学科の授業では、「還元」という言葉がよく出てきました。得た利益を社会に役立つことに再投資するのが還元であり、ビジネスプランを作ってお金を稼いで、それを社会の役に立つことに投資してビジネスが回るというソーシャルビジネスについての理解を深め、実際に事業計画書の作成方法はダンススタジオ設立の際に役立ちましたし、ソーシャルビジネスの考え方はダンサーにも当てはまるのかなと思い始めています。ダンサーである自分に投資し、カーボベルデやヨーロッパでダンスのスキルをアップして、パフォーマンスという仕事でエネルギーやポジティブな気持ちを世の中の人に伝えていく。お金だけでなく、エネルギーやポジティブな気持ちも社会に還元できるのだと気付き、それが社会に必要とされる人間としての在り方ではないかと考えるようになりました。
大学時代に得た一番の宝物は人脈、社会起業学科で出会い共に学んだ友人たちです。現在は、それぞれに自分の城を持って自分が選んだ仕事や事業を行い、その内容が社会にとってどれだけ意義があるのかと常に考えている人ばかりです。今でも、悩んだり何か問題が起きたりした時には連絡を取り、相談したり意見を聞いたりしています。私自身よりも私のことを分かってくれている人たちなので、自分の立ち位置が分からなくなった時には必ずフィードバックをもらうようにしています。
