Vol.10
ロス五輪出場を目指しながら、
良い職場環境でプレーを
続けられる
アスリートを増やす起業家へ。
松永理沙ジェニファーさん
社会起業学科
神戸市出身で、兵庫県立芦屋国際中等教育学校6年時、走り幅跳びで5メートル92を記録し“高校日本一”に。体育会陸上競技部のレベルの高さと指導方針、またスポーツを通じたビジネスで社会貢献したいという夢にぴったりの社会起業学科があったことから、関西学院大学人間福祉学部に進学した。林直也ゼミの活動やフィールドワークなどで学びを重ねる一方、ジャンパーとしてはロサンゼルス五輪出場を目指している。
夢にぴったりのゼミでスポーツ×ビジネスの基本を学ぶ。
私には、父の国であるナイジェリアなど途上国で、陸上競技をメインにスポーツを無償で教えるフリースクールを立ち上げるという夢があり、スポーツを通じた社会貢献や社会問題解決を目指す林先生のゼミはまさに自分にとって「ドンピシャ」の環境です。現在は、「スポーツを通して政治への苦手意識を克服しよう」をテーマに、小学6年生を対象とするイベントの準備を進めています。グラウンドでの実技と教室での講義を行う予定で、スポーツと何を掛け合わせるか、どんな実技で伝えるかなど、意見を出し合って企画を考え、企画書を作成し、学校に電話を入れて…と、全てゼミ生14人で協力しながら行います。それぞれのキャラクターが出た斬新なアイデアはとても勉強になります。私は小学校に対して企画の説明からアポイント確定まで行う渉外担当電話係でしたが、「先に企画書を送ってほしかった」など先方からご指摘頂き、確かにその通りだなと。どうすれば先方に意図や想いが的確に伝わり、前向きにOKしてもらえるかなどといったビジネスの基本を学ぶ機会になっています。最終的には、鬼ごっこの一種の「警泥(けいどろ)」をモチーフとした授業を実施予定で、いくら若者世代がたくさんいても投票に行かなければ望む世の中にはならないことを伝えられたらと考えています。他にも、独立リーグに所属する三田市の野球チームとコラボして、放置竹林の竹で応援グッズを作り環境問題に貢献したり、アメフット部の試合の前に観客にスポーツマーケティングに関するアンケート調査をしたりと、スポーツとビジネスを掛け合わせた活動に日々やりがいを感じています。
実習の行き先も「自分で開拓」。
2023年の夏に10日間、「人間福祉国内フィールドスタディ」の授業の実習で北海道富良野市を訪れました。普通は提示された中から実習先を探して連絡を取り参加するのですが、一から自分で場所も内容も決めようと、先生の協力もあって1年生の必修授業でゲストスピーカーだった富良野市在住の出合祐太さんにアポイントを入れ、本実習の承諾を得ました。出合さんは青年海外協力隊員としてアフリカで子どもたちに野球を教え、帰国後はベーカリーを経営しパン職人をしながらスポーツ教室やプロ野球独立リーグを通して地域活性化に取り組んでいる起業家の方です。実習の内容を考えるにあたり「陸上教室をしたら」と前向きな提案をくださり、それ以外にも出合さんのベーカリーやスポーツ教室の手伝い、旭川市にある独立リーグチームでの1日実習、お祭りに参加しての地域の人との交流など、毎日たくさんのスケジュールで埋まりました。陸上選手としての私自身のプロモーションをするのも目標の一つだったので、スポーツ店に名刺や資料を渡してアピールしたところスポーツネックレスを作る会社を紹介していただき、物品のスポンサー契約につながりました。アンバサダーとなるのは初めてで一歩踏み出せたと思っています。陸上教室も北海道新聞に載り、結果を残すことができました。富良野に来た理由や将来について自分の言葉でしっかり伝えられたからこそ、いろいろな方が動いてくださった。思いを発信し続けることは大切だと学び、同時に、私のような部外者の大学生を受け入れてくれる心優しい富良野の方たちがいたからこそ実現できたと心から感謝しています。
陸上教室を通じて生徒たちの新しい相談相手に。
陸上教室は、小学生は陸上経験者と未経験者の児童を対象に1回ずつ、中学生は2校の陸上部をまとめて、さらに予定になかった高校陸上部と、3日間で4回実施しました。裸足でのトレーニングをはじめ、基礎のストレッチや体の使い方、基本的な走り方など全て私の経験に基づく内容で、小学生には50メートル走など楽しい要素を多めに考えました。他にも、私が中高生の時には知らなかった股関節周りの動きなど、初心に戻って大切だと感じたことを2時間半の間に簡潔に、次の日からの練習に生かせるように伝えました。教室後のアンケートには「一緒に動きながら手本を見せてくれたのがよかった」と書かれており、体を使って教えることも指導方法の一つとして大切であると改めて実感しました。私のInstagramをフォローしてくれる子たちもいて、神戸に帰ってからも「けがしちゃったのですが、どうしたらいいですか」という相談や、私のトレーニング動画を見て「参考になります」というメッセージが来るなど、教室を通じて新しい相談相手になれたのかなと思っています。また、富良野市では少子化による学校の合併が進み、陸上部も先生一人が抱える部員の数が増えているそうです。教員と顧問の仕事とで手いっぱいとなり練習メニューを組むのも大変らしく、「今後の指導の参考にできる。生徒にとっても刺激になり、目標を立てるきっかけになった」と言っていただき、指導においても少しは貢献できたのかなとうれしかったです。外部からの刺激は大切だと客観視できました。
シドニーでの疲労骨折は一生忘れられない経験。
走り幅跳びの選手としては、大学1年生の時に一からフォームを見直したことで面白いくらい記録が伸び、何度も自己ベストを更新し、関西インカレでも優勝できました。記録が出た瞬間というのは、言葉には表せない達成感があります。2年生の時は故障でいい結果は出せなかったものの、前年の成績で日本選手権など大きな試合を経験できました。3年生になる春休みには単身陸上留学したシドニーで右すね脛骨の疲労骨折が発覚、他のメンバーと同じ練習はできなくても最後まで学びたいと訴えて何とか受け入れられたものの、一生忘れられない経験になりました。帰国後に手術をして今もリハビリ中です。この1年間は来年に向けての準備期間とシフトチェンジして、リハビリとそれに合わせたトレーニングをひたすらしています。3年生こそと思っていたのですごくつらかったですが、逆にリハビリの計画やリハビリ中のトレーニング方法を学ぶ機会になりましたし、体のバランスが悪かったことにも気付けました。卒業後も陸上を続けると決めているので、学生のうちに経験してよかったと何とか切り替えられた感じです。2028年のロサンゼルス五輪と2025年の東京の世界陸上選手権大会に照準を当て、来年全日本インカレで学生日本一を取ることが目標です。グランプリシリーズの一つが北海道で開催されているので、来夏は参加し、実習を通して関わらせていただいた方たちの前で跳びたいですね。
夢の実現には大会で結果を残し広告塔になること。
卒業後は、一般企業への就職ではなく、「プレーヤー」として契約社員やフリーランス契約の道を考えています。日本の場合は日本代表クラスの選手じゃないとプロ契約は難しい大企業が多く、私はそれを改革したい。できれば、陸上部や所属選手を持っていない企業の第1号選手になりたいと思っていて、ちょっと破天荒な私のことを気に入ってくれるような新しい感覚を持った企業を探しています。入学当初の夢だった起業に関しては、その分野のプロである出合いさんから営業のこつやアドバイスを聞いて、目指す方向が少し変わってきました。今は、アマチュアのアスリートが少しでも良い環境の職場で働けるように事業を展開したいと考えています。身近な先輩にも、就職などで続けたくても続けられなくなった人をたくさん見てきました。私は身体的にも、可能性の面でも、スポーツは大学を卒業してからの方が伸びると思っているので、断念する人を一人でも少なくしたい。それを実現するためには、例えば、パートナーや協力者を見つけて、スタッフは勤務時間内にトレーニングも含まれるというようなスポーツジムを立ち上げることなどが考えられます。スポンサーを得るためには、私自身が大会で結果を残し広告塔となることが一番であり、途上国でのフリースクールでも同じことが求められるはずです。まず国内で挑戦し、そこから海外へ。そのためにもロス五輪までの5年間は妥協しない環境でやり尽くしたいと思っています。