Vol.12
社会福祉士となって
1対1のコミュニケーションを
大切に、心軽く生きられる
お手伝いを。
松村 夏穂さん
社会福祉学科
東大阪市出身。大阪学芸高校時代は陸上部で長距離選手として活躍。進路に迷う3年生の時、図書館で手にした全国の大学の学部学科を紹介した本で社会福祉士という専門職を知り、国家資格の取得を目指して社会福祉学科に進学した。授業を通して福祉全般についての学びを深める傍ら、西宮を拠点に障害者の生活支援に取り組むNPO法人でアルバイトとして3人の女性の介助に携わっている。
1対多の先生より1対1の社会福祉士を目指そう。
5歳からピアノを習っていたこと、陸上部に所属するなど体を動かすのが好きだったこと、そして勉強が嫌いではないことから、将来は幼稚園か小学校の先生がいいなと漠然と考えていたのですが、半面、リーダーシップを発揮して大勢の子どもたちをまとめたり、導いたりすることには性格的に不安を抱いていました。部活動も終わり本格的に進路を考えるようになった高校3年生の時、図書館で全国の大学の学部・学科に関する本を手に取り、目に留まったのが社会福祉士という職でした。それまでも社会福祉士、ソーシャルワーカーという言葉を聞いたことはありましたが、要支援者さんと1対1のコミュニケーションを大切にする仕事だと分かり、私に向いている、この仕事を目指そうと思いました。そこからは社会福祉士の資格を取るための知識を得られる大学を探し、自宅からの通学時間や自分の学力を考えて関西学院大学を候補にしました。オープンキャンパスに参加し、先輩方がとても優しく丁寧に教えてくださったことも決め手になりました。現在は、社会福祉士の心得など専門職に必要なことをひとつひとつ身に付けているところです。
他者を理解する前に自分と向き合い自分を知る。
1年生での履修科目で特に大きな学びを得たのが、秋学期に受講した「ソーシャルワーク演習Ⅰ」です。対人援助や実践教育を研究テーマとする川島恵美先生の指導の下、ソーシャルワーカーとしての視点や行動について座学や実践を重ねました。授業の前半は、自分自身と向き合い、自分という人間を知ることに取り組みました。例えば、幼少期から現在までに出会った人たちとの思い出を書き連ねる授業では、親との関わりがほとんどだった幼い時代から小学生、中学生と成長に伴って友達とのエピソードが増えていき、さらに高校、大学と進むにつれて、いい意味で人の目を気にしすぎない人間へと変わっていった自分を再認識できました。ソーシャルワーカーには他者を理解することが求められますが、それ以前に、自分がどういう人間なのかを理解することの大切さを教えられました。演習はⅡ、Ⅲとこれからも継続されます。今後、どのような学びが待っているのかとても楽しみです。
自分の物差しで測る前に「まずコミュニケーション」。
「ソーシャルワーク演習Ⅰ」の後半では、5、6人によるグループワークを行いました。中でも、一枚の紙をビリビリと破り、その断片をジクソーパズルのように組み合わせて元通りにしていくワークが印象に残っています。指示役と実行役が2人1組となって断片を並べていき、残りは観察者として指示の内容を確認したり身振り手振りなどの禁止事項を監視したりします。私は図形が苦手なため指示役の「ここだよ」「そこは違うよ」という声をとてもありがたく感じたので、自分が指示する側になった時には同じようにしっかりと言葉で伝えるようにしました。でも、総括の際に川島先生から「実行役には図形が得意な人や、自分で考えたいと思っている人がいるかもしれません。どうしたいのかをまず聞くなど、実行役の人とコミュニケーションを取ることが大切です」とアドバイスを頂きました。相手にとって良かれと思って取った行動でも、それは自分自身の物差しで測ったものあり、相手は良い気持ちがしないこともあるのだと学びました。また、言葉でしっかりと伝えようとしたこと自体、私が実行役の人の能力を低く決め付けていたからだとも気付きました。数々のグループワークを通じて自分が得意なこと、苦手なこと、されてうれしいこと、嫌なことなども分かり、それらは将来必ず役に立つと思っています。
3人の車いす利用者と向き合い暮らしをサポート。
特定非営利活動法人「かめのすけ」は、西宮市を拠点として障害者の生活支援に取り組む団体です。1年生の4月、キリスト教学の授業の最後にかめのすけのスタッフの方から「やってみませんか」と呼びかけがあり、7月にアポイントを入れて3日間の重度訪問介護従業者養成講座を受講しアルバイト登録しました。中学・高校と続けた陸上を大学ではしないと決断したこと、障害者領域を知ることは将来どのような領域で働く場合にも役立つと思ったことが動機です。現在、車いす利用者の女性3人の介助を担当しており、一人暮らしの方に対しては月2回、10時から18時まで生活全般をサポート。午前中は一緒に日用品等の買い物に出かけ、帰宅後はお昼ご飯、午後は洗濯物を畳んだりしながらコミュニケーションし、16時ごろには入浴のお手伝いをします。とはいえ、言葉でのやり取りが難しい方なので、何を欲しているのか、何が嫌なのかなどは表情からくみ取り、体をさするといったスキンシップで確認します。険しいお顔になった時には違う部屋に行って距離を置いて見守り、クールダウンするのを待ってからもう一度お声がけするというふうに、私なりに必死に考えて向き合うよう努めています。
あとのお二人には月1回、外出介助を行っています。軽度の知的障害がある方の車いすを押して出かけた時、スマートフォンで道を調べていると、「そっちじゃないよ。こっちだとエレベーターがあるよ」などと詳しく教えてくださいました。私は、その方は道を分からないだろうと決めつけていたのです。最初に「分かりますか」と聞くべきだったと反省しました。「ソーシャルワーク演習Ⅰ」で川島先生がおっしゃった、「まず聞いてコミュニケーションを取りなさい」という事例そのもので、授業で教わったことを介助の現場で経験として確認し、さらに学びを深めている感じです。コミュニケーションの取り方も介助の仕方も三人三様で、まだまだ覚えられなかったり手間取ったりすることもある中で、最近、お一人のトイレ介助をした時に初めて「合格だね」という言葉を頂き、本当にうれしかったです。将来のためになればと始めた介助アルバイトですが、今は、一人の人間としてそれぞれの方と深く接する楽しさの方が、当初の目的よりも勝ってきたように感じています。
その人が生きやすく心が楽になるような暮らし方を。
人間福祉学部は第2言語として日本手話を履修できるのが魅力の一つで、1年生の春・秋学期に受講しました。聾(ろう)を障害ではなく文化として捉える授業方針の下、週2回のうち1回は聴者の先生から座学形式で聾文化を学び、もう1回は聾者の先生に手話の実技指導を受けます。実技の授業では、まず、日本手話は思った以上にとても難しい言語だと痛感しました。また、聾の先生のエピソードを聞き、手話にする考え方や見方が変わりました。手話と歌を組み合わせて聾者と一緒に楽しむようなシチュエーションは、聾の方にとっては、音楽そのものが聞こえない上に音楽に乗せることで手話のリズムも崩れてしまうため、何も伝わってこない状況だそうです。聴者が一方的に自分たちのやり方、考えを押し付けていることも多いのだと知りました。福祉とは、やってあげるという押し付けのものではなく、コミュニケーションを取りながら、その人が生きやすい、心が楽になるような暮らし方のお手伝いをすることだと私は考えています。将来どの領域に進むかはまだ決められませんが、どうすればクライアントさんの心が軽くなるか、不安なく接してくれるかなどコミュニケーションに関する学びを深め、利用者さんと1対1でしっかりと向き合える仕事に就きたいです。