十人十福

Vol.20

他者の視点を養うこと

安藤 幸准教授

社会福祉学科

#ソーシャルワーク#国際社会福祉#他者性

わたしが担当している授業のひとつに、「国際社会福祉」をテーマとした科目があります。この授業では、社会福祉に関わるテーマを取り上げて、グローバルな視点で考えることを目的としています。グローバルな視点といっても、世界のどこかで起きている出来事だけを取り扱うのではありません。わたしたちのローカルな日常生活は、グローバルにつながっています。

この授業では毎回、TA(授業をサポートする大学院生、ティーチング・アシスタントの略)が話題提供をしてくれます。ある日、TAが「消滅の危機にある言語・方言」(注1)について紹介してくれました。このクラスは少人数ですが、関西や北陸、関東、アジアの出身の学生がいました。関西出身の学生は、神戸と京都はちがう、大阪でも東西南北ではぜんぜんちがう、などと話し始めました。関西弁は話さないという学生や、地元の方言を大切にしているという学生、日本に来て初めて暮らした場所と今住んでいる場所では同じ関西でも言葉の使い方が違うという学生などさまざまな意見が出て、議論が盛り上がりました。

その後、その話題から離れ、世界で起きている出来事について話し始めたのですが、学生は「日本では・・・」「日本人は・・・」と意見を述べるのです。少し前まで、「わたしは〇〇出身」、「わたしは△△弁を話す」と主張して、そのちがいは超えられないもののようであったにもかかわらずです。「あれ、さっきまで、みなさんが大切にしていた地域性はどこにいったの?どうして急に日本や日本人に固執するのですか?」と指摘すると、学生は「たしかに!」ととても驚いた顔をしました。

わたしたち一人ひとりは多様です。しかし、圧倒的な「他者」が存在するとき、わたしたちはひとつに結束します。先ほどの例からも、同質性や多様性はもろいことがわかります。わたしたちは、自分のなかにいろいろな側面を持っていて、状況に応じて自分を合わせながら(合わせさせられながら)生きています。わたしたちが置かれる状況によって、自分が何者であるかはころころと様相を変えます。わたしたちが持つマジョリティ性とマイノリティ性の複雑な関係性が、社会における生きづらさを生むことがあります。

「他者」としての視点や経験は、とても大切です。しかし、他者性は、自分の生活圏で暮らし、自分と同じ世代の人々との交流だけでは備わっていきません。大学では、複数の言語を学んだり、所属学部・学科の専門とは関連がないように思える科目なども履修したりしながら、視野を広げていきます。苦手意識がある、関心がないと思うような科目こそ、ぜひとも履修することを薦めます。在学中に海外を旅して、可能であれば、ある一定期間現地で生活してみるとよいでしょう。マイノリティ性ゆえの生活の不自由を経験することで、自らを主張することの必要性や多様性の尊重などについて体験することになり、次第に他者の視点が備わっていきます。

ヘレン・ケラーは、“The highest result of education is tolerance.”(教育の最高の成果は、寛容さである。)という言葉を残しています。ヘレン・ケラーは、視覚と聴覚の困難を抱えながらも努力を続け、自分自身を克服し、障害のある人々の権利を訴える社会活動をとおして、多くの人々を勇気づけました。

わたしたちは、予測不可能で不安に満ちた時代に生きています。多様な他者の経験を理解し、それらを自分事として捉える力がますます必要とされています。他者を尊重し思いやることは「寛容さ」そのものであり、これから多様な他者と共生しながら生きていく鍵になります。

(注1)文化庁「消滅の危機にある言語・方言」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/kikigengo/index.html