十人十福

Vol.22

あなたは、自分が年を取っていくことを想像したことがありますか?

市瀬 晶子准教授

人間科学科

#老年学#スピリチュアルケア

年を取ることについてのイメージ

人口の高齢化率で日本は世界のトップランナーですが、あなたは自分が年を取っていくことを想像したことがありますか?
 老年学の授業では、「年を取りたくない」「あまり取りたくない」という人は7割、「年を取りたい」「どちらかと言えば年を取りたい」という人は2.5割でした(興味深いことに、この回答の割合は毎年ほぼ同じです)。年を取ることによって、身体が衰え、物忘れがひどくなって、今できていることはできなくなり、人生は楽しくなくなって、今の自分は失われてしまうように思うかもしれません。しかし、あなたが「年を取ること」や「老い」について抱いているイメージは、もしかすると、高齢者を一つの型にはめるステレオタイプになっていないでしょうか?

出典:生成AIによる「超高齢社会のイメージ」

高齢者へのライフストーリー・インタビュー

ある学生の祖父は、若い大学生や高校生にどんな楽しい未来が待っているのか想像するだけでうらやましいと語った一方で、楽しい経験、辛かった経験など一生に一度しか味わうことができない経験が今の自分を作ってくれた、老いるということは今までの人生の一瞬一瞬を作り上げてくれた大切な瞬間であると語ってくれたそうです。その学生は祖父のインタビューを通して、歳をとること、老いを重ねることは、決して悪いことではなく、その一瞬一瞬で得た経験の一つ一つが自分のものとなり、成長できるのだと学んだといいます。
 老年学では、自身の祖父母や75歳以上の人に人生の物語を聴くライフストーリー・インタビューを通して、人生のフロントランナーである高齢者から老いについて、生き方について学んでいます。

自分と社会が問われていること

老年学者のロバート・バトラーは、「年齢による差別、ある年齢グループに対する偏見」(エイジズム)が社会にあると言いました。バトラーは、年齢による差別・偏見は、年を取ること、病気や障害を嫌い、無用になり、死を恐れる不安をあらわしていて、社会の文化もその不安を強めていると言っています(Butler 1969)。
 新しい技術や製品が生み出す生活の向上を求め続け、生産性やコスパ・タイパの向上にいつも急がされている私たちの社会では、老い、病気や障害、死は幸せのじゃまをするものと思われています。そして、病気や障害を抱えて、他者の助けを必要とするようになった高齢者は「家族や社会の迷惑になりたくない」と生きる意味やいのちの価値を見失ってしまっています。フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、老いは単に生物学的事実であるだけでなく、文化的事実であると言っています。「年を取ること」や「老い」にどのように対応するかは、自分や自分たちの社会のありかたが問われている課題でもあります。

出典: 版元ドットコムhttps://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784409230541(2025.3.3閲覧)

老いをどう生きる?

ある学生の祖母は、背中が丸まって足の筋肉も落ちて自転車に乗ることをあきらめたときに本当に老人になったと感じたけれど、そのことで家が少し離れている娘家族が毎週のように一緒に車で買い物に行ってくれるようになって、悔しさや惨めさよりも大きな温かみを感じることができ、必ずしも老いは悪いことばかりではなく、たくさんの良いことに改めて気づかされることにつながっていると話してくれたそうです。その学生は、自分は「高齢者は弱い、面倒を見てあげないといけない」という感覚で祖父母と関わっていたけれども、祖母の強さは弱さを受け入れているからであり、自分はそのことを理解できていなかった、理解したうえで接し方を変えるべきだったと気づいたと言います。
能力や行動の世界では、老いによって徐々にできなくなっていくことを避けられません。しかし、精神科医のポール・トゥルニエは、老いによって行動の世界ではあきらめなくてはならないことがあっても、それは精神やスピリチュアリティにかかわるものではない。何かを失うのは何か他のものを得るためであって、老いることによって、それまでに知り得なかった新しい人生の見方が発見されると述べています (Tournier 1971=1975:327)。

喪失に直面しても、生きる理由

精神分析学者のエリック・エリクソンと妻のジョウンは、80歳になった頃、自分たちが高齢者になったということを認識し始め、90歳近くになって老年期の試練に直面したといいます。それは、能力を失い、一日を無事に過ごせるかどうかが関心事になり、家族を失い、自分自身の死をそれほど遠くないところに感じ、向き合わなくてはならない多くの悲しみがあるという現実です。そして、そうした喪失の現実に直面しても、もしあなたがまだ生きたいと願い、希望に満ちているなら、あなたは生きる理由を持っていると言っています(Erikson&Erikson 1997=2001:163-164)。
能力を失い、家族を失って、自分自身の死をも自覚する中で、私たちはどのような希望に満ち、生きる理由を持つことができるでしょうか。それはスピリチュアリティに関わる人生のテーマであり、私はそうした人生の課題におけるスピリチュアルケアを研究しています。
そして実は、自分を支えてくれていたものを挫折や別離などによって失うことは、人生において老年期だけの課題ではありません。老いをどう生きるかを学ぶことは、自分と身近な人たち、社会の幸せを考えるために必要なことでもあるのです。

参考文献 
Beauvoir,S.(1970) La Vieilesse, Éditions Gallimard.(=1972, 朝吹三吉訳『老い 上巻』人文書院.)
Butler,R.N.(1969)Age-ism:Another Form of Bigotry,The Gerontologist,9(4),pp.243-6
Erikson,E.H & Erikson,J.M. (1997) The Life Cicle Completed-A review expanded edition,W.W.Norton & Company,Inc.(=2001,村瀬孝雄・近藤邦夫訳『ライフサイクル、その完結〈増補版〉』みすず書房.
Tournier,P(1971)Apprendre à vieillir, Delachaux et Niestlé=(1975、山村嘉己訳『老いの意味―美わしい老年のために』ヨルダン社.