十人十福

Vol.18

災害ボランティアの
ハードルは高い?

頼政 良太助教

社会起業学科

#災害ボランティア

実践家から研究者へ

私は、大学1年生の時からボランティア活動をはじめました。特に、災害ボランティアの活動を中心におこなっていて、その後、東日本大震災をきっかけに災害救援活動をおこなうNGO団体に就職し、災害が起きた際の被災者支援活動を続けてきました。その後、実践活動だけでは災害の問題は解決しないと思い、働きながら大学院に入学して災害の研究もはじめました。主に災害救援活動をボランティアの皆さんと一緒に活動しながら研究するアクション・リサーチという手法で災害ボランティア活動について研究しています。

災害ボランティアはハードルが高い?

災害ボランティアと聞くと、とってもハードルが高いと思われているのではないでしょうか?また、瓦礫の撤去などの力仕事を想像する人も多いでしょう。2024年1月1日に発生した能登半島地震では、「ボランティアを控えましょう」というメッセージも発信されました。「災害ボランティアセンターの準備が整うまでボランティアには行かないで!」という発信もありましたね。こうしたメッセージを見聞きすると、皆さんは災害ボランティアってさぞかし大変な活動なのだろうと想像すると思います。

しかし、災害ボランティア活動というのは、瓦礫撤去などの力仕事だけではないですし、「役に立つ」からボランティアが必要とされているわけではないのです。例えば、私がよく実践していた足湯ボランティアは、家を片付けるわけではありませんが、被災した人たちの心のケアにつながっています。

能登半島地震

能登半島地震での足湯ボランティアの様子

ボランティアは自発的?

そもそも「ボランティア」という言葉を紐解いてみると、ボランティアとは自発的におこなうものという意味合いがあります。しかし、自発的ってよくよく考えてみると、どこからが自発なのかよくわからないですよね?例えば、皆さんがボランティアをしようと思ったとして、何かきっかけがあると思うのです。テレビのニュースを見た、友達がボランティアをやっていると聞いた、近所の人が困っていて…こんなふうに色々な要素が絡み合って皆さんの行動に結びついているはずなのです。ボランティアも自発的にやろう!と意識するというよりも、困っている人を目の前にして思わず体が動くという方が近いのかもしれません。ボランティアは意識高い系と揶揄されたりもしますが、思わず体が動くものと考えると、もっと身近なものだと感じてきませんか?

「支援する側」と「受ける側」を乗り越えて

特に災害ボランティアでは、「支援をするボランティア」と「支援を受ける被災者」という構造が生まれやすくなっています。しかし、支援をする側とされる側という構造が固定化されてしまうと、支援をする側がされる側を傷つけてしまうということが生じやすくなってしまいます。「ボランティアを自粛しろ!」というメッセージが大きく発信されるのは、「する」と「される」の構造が固定化されてしまうことで、被災した人が傷ついてしまうからなのです。でも、ボランティアは本来そうした「する」と「される」の関係を固定化するものではありません。ボランティアを体験した人は「元気づけようと思ったけれど、逆に元気をもらいました」という感想をよく述べてくれます。これって、どっちが「する」でどっちが「される」なのかわからなくなっていますよね。こんなふうに、本来、ボランティアはどちらかが「する」というよりは、お互いに支え合うという行為そのものなのです。そう考えてみると、ボランティアは役に立つから良いとか、迷惑をかけるな、というのは、「する」と「される」という枠組みの中で考えているから生まれてくる発想だなと感じますよね。ただボランティアといっても、ちょっと深く考えてみると、色々な見方ができるのです。

担当科目

私は、こうしたボランティアについて考える「ボランティア論」や社会課題の解決に取り組む人たちのところで学ぶ「社会起業フィールドワーク(国内)」、社会課題解決のためのプラン作成や実践をする「社会起業プラクティス」などを担当しています。どれも、実践や体験をもとにして学びを深めるものばかりです。学生のみなさんと一緒に実践をしながら楽しく学ぶ機会を持てれば嬉しいです。


※所属や内容は掲載日時点のものです。また内容は執筆者個人の考えによるものであり、本学の公式見解を示すものではありません。