十人十福

Vol.15

高校時代に抱いた社会への違和感が
大学の授業を通して明確に。
将来は母国など途上国の支援活動を。

マホムッド・ファティマさん

人間科学科

大阪府堺市出身。小学3・4年生の2年間を祖父母が住むバングラデシュの小学校で学ぶ。高校時代、聴覚障害がある友達の不登校をきっかけに教育現場に違和感を抱き、人と社会の関係を学びたいと思うように。人間福祉学部の教育理念「3つのC(人への思いやり・幅広い視野・高度な問題解決能力)」に感銘を受け、入学。授業を通して社会の問題点や課題が浮き彫りになり、途上国支援という将来の目標が見つかる。

#人間科学#ゼミ#課外活動

全員を一つの枠に入れようとする学校に違和感を抱いた。

高校に入学して半年ほどたった頃、聴覚障害がある友達が不登校になりました。ずっと一緒にいたのに何も聞いていなかったので、「なぜ相談してくれなかったの?」「なぜ学校に来たくないの?」など、いろいろな「なぜ」が頭をよぎりました。普段どう過ごしているのかを尋ねると、「フリースクールでボランティアの人たちと勉強したり、遊んだりしている。とても楽しい」と言うのです。一人の若者が社会とつながれる場所が学校以外にもあることに驚き、人と社会の関係をもっと知りたいと思いました。また、学校は「とにかく来なさい」と言うばかりで、他に居場所があることを教えないことも疑問でした。生徒全員を一つの大きな枠に入れようとしていると感じました。学校に対して、そんなもやもやした感情を抱いていた時に、人間福祉学部のパンフレットで「3つのC」というワードを目にしました。より良い社会の実現に貢献するためには、「人への思いやり(compassion)」「幅広い視野(comprehensiveness)」「高度な問題解決能力(competence)」が不可欠で、それを育む学びを人間福祉学部は提供していると書いてありました。私に必要なのは「3つのC」だと強く感じ、3つのCを身に付けて社会の課題解決に貢献できる人間になりたいという気持ちが芽生えました。中でも、人間をこころと身体の両面から捉える人間科学科に興味を持ち、入学しました。

桜井先生の授業で違和感が一気にクリアになった。

1年生の春学期、子ども論や社会思想史、教育社会学を専門とする桜井智恵子教授の「子ども学」を受講しました。授業では、現代の子どもが陥っている社会的な困難について構造的に学びます。印象に残っているのは、能力主義を重視する資本主義社会では、子どもや若者は何かをやらざるを得ない状況に追い込まれており、「構造的暴力の最中にある」とおっしゃっていたことです。この時、それまでの違和感が一気にクリアになりました。当たり前だと思っていた学校生活は支配や権力の構造で成り立っており、不登校になった友達は構造的暴力に苦しんでいたのだと理解しました。そして、その社会的構造は私たちの凝り固まった常識によって成立することも、学びました。「学校には行かなければならない」という常識に、多くの人はとらわれています。だからこそ、友達は構造的暴力から解き放たれた時、学校以外の場所が楽しかったのだと思います。また、日本の子どもたちは政治や社会に関心を持つ機会を与えられていないという桜井先生の言葉に、小学6年生の時に病気の伯母と過ごすために3カ月ほど滞在したアメリカで、政治の話で盛り上がっている現地の子どもたちに「日本はどうなの?」と聞かれて何も答えられなかった自分を思い出しました。2年生の春学期には桜井先生の「家族と社会」を受講し、ヤングケアラーやシングルマザーも社会の構造が生んだものなのに、その人自身の問題にすりかえられる傾向にあることが分かりました。私の周りにもシングルマザーがいて、余裕がないのか、いつも子どもに怒鳴っています。以前は単純に子どもがかわいそうと思っていましたが、学びを得た今は彼女たちを救うにはどうすればいいのかと考えるようになりました。

ゼミ活動で調べたいテーマは山ほどある。

ゼミは迷うことなく、子ども・若者の問題を社会的な課題として位置付けて研究する桜井ゼミを選択しました。3年生の春学期は少人数のグループに分かれ、それぞれが興味ある分野について調べてプレゼンテーションします。私のグループのテーマは「成績」で、成績により児童・生徒を判断する社会の構造を調べ、その問題点をあぶり出しました。資本主義社会では生産性のある人間しか価値がないとみなされ、能力のある人間が良しとされます。子どもも小さい頃から生産性を求められており、それが問題だと結論付けました。プレゼンテーションの後、桜井先生から「発表の中に出てくる『同化』という言葉はどういう意味で使っているの?」と質問がありました。発表では「外から得た知識などを完全に自分のものにする」という肯定的な意味で使っていたのですが、例えば、権力者が下の者を支配したことによって生まれた「他を感化して自分と同じようにさせる」という意味もあることを知りました。言葉には複数の意味があり、まったく別の意味が潜んでいる場合があるのだと気付き、今後はその成り立ちなども熟慮しながら、一番ふさわしい言葉を使っていく必要があると感じました。3年生の秋学期からはゼミ生個々でテーマを決め、調べて発表する予定です。春学期に他のグループの発表を聞いたことで調べてみたいテーマが増えました。最終的に卒業論文では、さらに「子ども」にフォーカスしようと考えています。

語学力を生かして人の役に立ちたい。

大学に入り、「何か人の役に立つことをしたい。自分の強みは何なのか」と考えた時、ベンガル語と英語、アラビア語、日本語の4つの言語ができることだと思いました。そこで、入学直後から日本語サポーターと日本語教師の登録ボランティアとして活動しています。日本語サポーターの仕事は外国にルーツを持つ子どもたちの支援です。親に付いて来日したものの日本語が分からなかったり、学校の授業についていけなかったりと、日本の社会になじめない子のサポートをします。現在はバングラデシュから来た高校生を担当していて、昨年は高校受験の手助けをしました。一方、日本語教師としての活動は、入国希望者の日本語能力を就労ビザが取得できるレベルまで上げることです。依頼があれば、オンラインでレクチャーしています。アルバイトで塾の講師もしています。日本の子どもたちは社会に目を向ける機会が少ないことが分かったので、授業以外にできるだけ日本社会で問題となっていることを伝えるようにしています。中学1年生の生徒に、子どもの頃お世話になった近所のおばあさんが孤独死をしたという話をした時は、一人の男子生徒が「孤独死の問題を放っておくような人間にはなりたくない。今日は勉強より大事なことを聞けた。ありがとう」と言いに来てくれました。ものすごくうれしくて、これからも折りに触れ話していこうと決意しました。

構造や背景を探り課題解決に携わる人に。

私はバングラデシュにルーツを持っています。小学3・4年生の2年間はバングラデシュの祖父母のもとで暮らし、小学校に通いました。日本で生まれ育った私に、両親は母国の文化を知ってほしかったのだと思います。大学1年生の夏休みに祖父の葬儀で約8年ぶりにバングラデシュを訪れた時には、現地の社会が抱える問題がはっきり見えました。市民の移動手段として欠かせないリキシャは日本の人力車に似た乗り物で、その運転手たちはエッセンシャルワーカーなのに何の保証もなくその日暮らしを強いられています。小学生の頃は無邪気に「きれいな乗り物だな」と思う程度でしたが、大学の授業で日本社会の問題に触れたこともあって、運転手に生活の保障がないのはなぜなのだろうと考えるようになりました。ストリートチルドレンはなぜ生まれるのか、ロヒンギャ難民はなぜ人格や尊厳を認められないまま放置されているのか、その理由を知りたいと思いましたし、バングラデシュを含め途上国の社会的弱者を救いたいという将来の目標が生まれました。途上国の支援に携わるために必要な知識を得ることを目的に、大学院進学も視野に入れています。入学時、人の役に立ちたいという思いや社会の課題解決に貢献したい気持ちはあったものの、具体的な将来の目標はありませんでした。さまざまな授業を受けたことで、多様な側面から物事を考えたり、物事の構造や背景を探ったりするようになり、結果、社会の課題が浮き彫りになって、その解決に携わりたいと強く思いました。バングラデシュをはじめとする途上国支援という目標が見つかった今、それに向けて、自分ができることを精いっぱいやっていきたいです。